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書籍・雑誌

2015年1月30日 (金)

葉室麟「山桜記」

雪かも知れないとの予報でしたが、朝から雨です。

年初に今年こそは積極的に本を読もうと思い立ち、近くのコミュニティーセンタ内の図書室から2冊借りていました。近頃は本も高いので、気軽に買えません(苦笑)。

1冊目は『眠れなくなる宇宙のはなし』シリーズ第3弾「気が遠くなる未来の宇宙のはなし」。

地球、太陽、太陽系、銀河系、そして宇宙全体について、最新の学説に基づく「未来予想」を紹介している本です。

内容は・・・宇宙好きにはそこそこ予想できる内容ですが、著者の先生がSF好きでもあって硬い内容にならず楽しく読了。

第1弾、第2弾は書棚に無かったので、もう1冊に今年最初の小説として表題の本を選びました。

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「蜩ノ記」で直木賞を受賞した葉室麟の短編集です。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の頃から、徳川家光治世の頃までを時代背景に、大名や有力武将、その家族の話が七編収録されています。

「蜩ノ記」でその実力を知っていたので期待して手に取った1冊でしたが、読後感はチョッピリ期待外れ。

読ませる筆力はさすが直木賞作家、と言いたいところですが、各短編とも突っ込みどころが気になって物語のなかにスッと入っていけなかったのです。

例えば最後の一編「天草の賦」の冒頭近く、天草の乱が起こり黒田藩主が江戸から九州島原に急ぎ駆けつけるところの一節。

・・・・・・

 このおり、黒田藩主忠之は江戸に在勤していたが、出兵命令が下るや夜半に騎馬で出発し、宿に泊まることなく、夜を日に継いで急行してわずか七日で大坂に着いた。

・・・・・・

江戸時代、徒歩で東海道を江戸から京都まで約14日掛かったといい、飛脚は3日から4日で走り継いだといいます。

旧東海道経由で江戸-大坂が約560kmとして、7日間で割れば1日約80km。現代の日本のマラソン選手のスピードでいえば約4時間の距離。

1日8時間を睡眠と食事に当て、残る16時間を移動に使ったとして時速5km!

で、騎馬で宿に泊まることなく夜を日に継いで走って七日はそんなに速い?

物語全体にとっては些細な事なのですが、正確であるべきところがぞんざいに扱われていると他の全てに疑問が生じてしまって、素直に物語りに入っていけないのです。

こんな私って変?

短編だから手を抜いて書いている・・・とは思いたくないのですが(苦笑)。

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2014年1月23日 (木)

昨年読んだ本

若い頃は本好きだったのに本を読まなくなって久しいと反省し、昨年の年頭に毎月最低1冊は小説を読むことを目標に掲げました。

最初は調子が良かったものの、次第にペースが落ちてきてしまい、1年でやっと15冊と何とか目標だけはクリアできましたが、読書が趣味とはとても言えないですね。

昨年読んだ本のタイトルは、年の前半が山本周五郎の時代小説。

「雨あがる」

「日日平安」

「人情武士道」

「山椿」

「雨の山吹」

「町奉行日記」

「酔いどれ次郎八」

いずれも短編集で、長いブランクから抜け出るには手ごろでした。

これらを読み終えたところで年の後半はSFに。

「宇宙ゴミ戦争」横田順弥

「決戦・日本シリーズ」かんべむさし

「宇宙人のしゅくだい」小松左京

「Bio Dome 702」磯辺文雄

「時の石」栗本薫

「氷河民族」山田正紀

「飢餓列島」福島正実・眉村卓

「天の筏」スティーブン・バクスター

発行当時話題になったものもいくつかあり、SFを趣味としSFの同人誌まで作るほどのめり込んでいた身としては、お恥ずかしい限りですが今回ようやく読んだというものがほとんど。

しかし、読んでみて何故発売当時に読まなかったのか、あらためて納得。最後の1冊を除いてどれも自分の読みたいSFではなかったから。

1970年代頃にニューウェーブという、観念小説ふうSFが流行しだした頃から、自分が読みたいと願う、宇宙を舞台にしたスケールの壮大な(決して単純なスペースオペラではない)ハードSFがめっきり減り、結局それがSFから冷め読書から遠のいた大きな要因であったわけで、その思いは今も同じ。

読んでいる間はとりあえず物語を楽しめたので、読んで時間を無駄にしたとは思いたくないけれど、やはり却って本当に読みたい本への渇望が募ったというか。

現実社会にちょっとした味付けをしただけのような小説では読みたいとは思わないので、本当に読みたい小説って、なかなか巡り合えないんですよね。年に1冊でも見つけられればオンの字で。

さて、今年も月1冊以上を目標に本探しを始めていますが、「手元に残しておきたい」1冊が見つかるかどうか。

2012年6月10日 (日)

きまぐれ読書 鼠と竜のゲーム

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 自他共に認めるSFファンであった頃に読み漏らしていた作品を、拾っていこうと思い手にした1冊。

 ネットのブログ書評で評判がよかったので、同じくネット書店で探してみたら古本でしか見つからず、しかも定価より高いものしか見当たらなかった。これは傑作なので買った読者が手放さないのか、もともとあまり売れず市場の絶対量が少ないのか。

 京都府や府内市町の公立図書館がオンラインで蔵書リストを共有し、どこからでも貸出申込みや受取りが出来るシステムが、ここ城陽にもあるのでそちらで調べてみると、京都市内の図書館で1冊ヒット。2週間近く待ってやっと届いたので早速読み始めることに。

 表題作品を含む年代記形態の短編集である。作品世界には独特の癖がありそれが持ち味でもあるようだが、慣れるまで少々違和感があった。書かれたのがガガーリンが地球を一周飛ぶ以前であることを考えると、時代を感じてしまうのは仕方が無いが、それを考慮してもそれほどの作品とは感じなかった。駄作だとは思わないが、若い頃読んだとしてもたぶん「毛色の変わったその他」の作品として、そのうち記憶から消えていく1冊だったろう。

 この他にも年代間を埋めるエピソードを綴った短編集が何冊かと、1冊の長編が出ているようだが、あえて探してまで読みたいと思わせる魅力を感じなかったのは残念。

2012年5月 3日 (木)

きまぐれ読書 アミ 小さな宇宙人

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 書店に棚に平積みされていた文庫本を手に取り、ぱらぱらと眺めていると、他者を侵略するような野蛮人は宇宙に進出出来るような技術を獲得する前に自滅してしまうから、地球を侵略する宇宙人の心配はする必要が無い、というような1節が目に留まった。これはかつてカール・セーガン博士が主張していた説であり、十分説得力のある説だと思っている。

 これはひょっとして真っ当なSFかもしれないと期待して早速購入。

 話は、子供のようにしか見えない宇宙人のアミが、地球人の男の子に宇宙は愛という法則によって成り立っている。愛=神であり、愛の能力を進化させることでみんなが平和に楽しく暮らせるようになる。と話し、宇宙の世界を体験させるというもの。

 子供向けのファンタジーと見せて、実は大人への寓話(?)ということから見れば、「星の王子様」や宮沢賢治の諸作品に通じるのかもしれない。

 ただ、愛のすばらしさを説きながら、その根底にあるのはキリスト教的な一神教の思想だし、西洋人的なものの見方から一歩も出ていないように見える。

 例えば動物を殺し食べることに嫌悪をみせベジタリアンを勧めたり、生きる為に他者を殺すことは愛が足りない野蛮なことと説いているが、これは自分に近い目に見える存在は優れていて保護するが、目に見えないものや自分から遠い存在には無関心という西洋人にありがちな独善に通じているのだろう。

 生きる為に他者を殺してはいけないのなら、植物だって殺して食べることは罪だろう。野菜も果実も生きているものだし、元をたどれば地球上の生物は全て根っこは同じものだ。人間がいくら綺麗事を言ったとしても、何も食べなければ死んでしまうし、たとえ食べなくても体の中では共生関係にあるさまざまな細菌が、自分を守る為にさまざまな外敵と戦い、ひいては宿主である人間を守っているという事実は隠しようが無い。少なくとも地球上の生き物は全て食うか食われるかのなかで生きてきたのだし、それに気付いて、もがき悩みながらも矛盾のなかに生きているのが人間なのだという、事の本質にはこの本は触れていない。

 言わんとしている事には同意しながらも、脳天気に綺麗事を言いながら独善を相手に押し付けている、昨今の動物愛護団体と合い通じるような気がして、素直に頷けない1冊だった。

2012年4月 1日 (日)

きまぐれ読書 都市と星

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 A・C・クラークの本で最初に読んだ作品は、東京創元新社(現在の東京創元社)SF文庫の「銀河帝国の崩壊」だった。一発でハマってしまった。その後、大幅に加筆されて早川書房から新書版(箱つきの銀背のあれ)のSFシリーズとして出たのが「都市と星」。もちろんすぐに買って読んだはず・・・。

 今回数十年ぶりに読み直そうと探し回ったが、どちらも見当たらない。好きな作家の本なので捨てたり処分するはずが無いのだが、大事に仕舞いこみすぎて何度かの引越しのあいだに紛失してしまったようだ。とても悲しい。

 アマゾンコムで調べると、さすがに同じころのものは見つからなかったが、旧訳のまま文庫になっているものが手に入った。

 さて、今回読み直しの目的のひとつは、10代の頃に読んで得た感動を、還暦を過ぎた今読み直して再び味わえるか、というものだった。数十年の経験と知識というフィルターを通しても、読み終えたときにやはり名作として納得できるだろうかと。

 読み始めてすぐに違和感を覚えてしまった。いや、違和感なんて生易しい表現では足りない。衝撃といっても良い。ほとんどストーリーを覚えていなかったのだ。SFにのめり込む決定打となった1作であり、傑作として認識していた作品の内容を、ほとんど覚えていなかったなんてことがあるだろうか。

 もちろんどんな話なのか、大筋は覚えているし、この作品のどんなところに惹かれたのかも分かっている。しかしそれでも、ストーリー展開そのものをほとんど覚えていなかったというのは、やはりショック以外の何者でもない。だけど、翻って考えてみれば新たな1冊として読むことができたといっても良い。以前読んで感動したというプラスハンディを背負っているとしても。

 で、どうだったか。表現に多少時代は感じるものの、やはりこれは傑作だと思った。クラークのSFの醍醐味がこの作品にはまぎれもなく詰まっていると。

 

2012年3月 7日 (水)

きまぐれ読書 蜩の記

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 今年の直木賞受賞作である。これまでこうした受賞作に飛びつくことは無かったが、書評を見て気になっていたので、本屋に寄った時つい手を伸ばしてしまった。

 例によってあらすじの紹介などはしないが、命の期限を切られながら職務に精励する初老の武士と、監視役に付くことになった若侍、武士の家族、主人公たちが幽閉されている村の農民たち、敵役ともいえる家老などなど。登場人物それぞれが型どおりの役回りでありながら、それぞれに味わいがあり、物語のなかに違和感無く入り込めた。

 もともと時代小説は好きなジャンルだが、読んだ事に満足できる1冊だった。

2012年3月 1日 (木)

気まぐれ読書 太陽の盾

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 実に苦労した1冊だった。昨年のうちに買って何度も読みかけては1、2ページでつっかえてしまい、そのたびに投げ出していた本。ようやく意を決して読み始めたのは、半村良「かかし長屋」を読み終え、さらに2冊ばかり時代小説を読んでからのこと。

 SFに魅了されて間無しにA・C・クラークの「銀河帝国の崩壊」(後に加筆されて「都市と星」に改題)に出会い、すっかりクラークファンになってしまった私がである。クラークってこんなに読みにくかったかなあ。

 しかし、読み進めていくうちになんとなく読みにくさの原因が分かってきた。原因はいくつかある。先ず、この小説はスティーブン・バクスターからクラークへのオマージュであり、決してクラークが共同作者ではないということ。また翻訳そのものもあまり上手だとは思えないこと。頻繁ではないにしてもいくつか、こんな日本語の使い方ってあるかな、と首をかしげるような箇所があった。直訳ではなかろうかと疑ったが、これはひょっとして私のほうが理解力不足なのかもしれない。

 一応ハードSFの体裁はとっているが、科学技術的な記述があればそれだけでハードSF、というわけではないだろう。ストーリーそのものが論理的に組立てられていてこそ、それら小道具が生きてくるというもの。いくら理論武装していても最後に「デウス・エクス・マキナ」では台無しと言うことではないか。つまりクラークのハードSFを期待して読んだ分、がっかり度の大きな1冊だったということ。

 だが決して駄作だったとは言わない。ハリウッドの破滅SF、とりわけ「ディープインパクト」や「インデペンデンス・デイ」などのように、絶対的な人類破滅状況から一転、ちゃっかり生き残って力強く再建に向かうという、ノー天気なハッピーエンド型の破滅映画がお好みの向きには、案外傑作かもしれない(ま、思いっきりの皮肉ですが)。

 かつて眉村卓氏は「年齢と共に読むべき本が違ってくる」と言うような主旨のことをおっしゃっていたが、私がクラークに魅了されたのは10代、20代の頃であり、「宇宙のオデッセイ2001」あたりが最後の「新作」だったから、ひょっとして今の私にはクラークの諸作品はそれほど魅力的では無いのだろうか。昔読んで感激した作品を今一度読み返して、検証してみる必要があるかもしれないなあ。

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