疫病はある日突然に 下
3月17日。当初様子見のため15日間、3月20日までの自粛要請としていた政府はこの日、あと14日間、3月末日までの延長を要請しました。当初の15日間では状況を見極められないと判断したようです。
大都市の路線バスの運転手をしている沖田は、疫病が国内に入ったと聞いた時から一抹の不安を抱いていました。混雑時には狭い空間に不特定多数の人間がすし詰めになる路線バスで運転手をすることは、常に感染の危険にさらされているようなものだからです。特に彼の場合同僚に比べ若く体力があることと強い使命感から、身障者の車いすやベビーカーを抱えた乗客を見ると、自ら進んで乗降の手助けをする機会が多かったので、それだけ濃厚接触感染のリスクが高かったのです。
政府から外出自粛要請が出ると乗客が減りましたが、ガラガラの状態で走るところまでには至りません。そんな時、別の営業所の路線バスの運転手に疫病感染が見つかりました。運転手の家族、同僚も感染検査を受け、数人に陽性反応が出たことで、その営業所は10日間の閉鎖、そこを発着するバスも運航休止の措置がとられました。民営である沖田の会社にとって乗客減に加えてのこの事態は経営に大きな打撃を与えることになりましたが、公共交通機関の一翼を担っているということで安易に全社休業とはできません。
沖田のストレスは次第に高まっていきました。それは同僚たちも同じだったでしょう。
沖田の妻、秋江は住まい近くの食料と雑貨品を扱う中規模小売店で事務のパートをしていました。政府からの在宅勤務要請を受けて、会社は販売部門はそのまま営業を続け、事務職は在宅勤務に切り替えることとなりましたが、パートである秋江はこの機会にと人員整理の対象にされ、雇用を打ち切られてしまいました。
沖田家は数年前にローンを組んで自宅を購入しており、秋江の失業はローン返済の計画が狂うことを意味しますが、社会に疫病による不景気が広がるなか、おいそれと次の就職先が見つかるわけもありません。沖田と秋江が不安とストレスを募らせていくことに不思議はありませんでした。
それは小学校5年生の隆文にとっても同じです。学校が休校になって家に閉じこもった最初のころこそ、勉強があまり得意でない彼にとって、学校が休めることはうれしかったものの、以来友達と遊ぶ機会も少なくなって不満が高まってきていました。
ある日、隆文は友達のところで遊んでくると言って、秋江の制止を聞かず出かけてしまいました。数時間後、かつての同僚から秋江に電話が入ります。同じようにパート解雇されていたその女性が、たまたま買い物で出かけた先で、ゲームセンターで遊んでいる隆文と数人の小学生を見かけたというのです。
あたりが薄暗くなったころ帰ってきた隆文に、秋江はどこで何をしていたか問いただしますが、後ろ暗い彼は正直に答えようとしません。そんなところに、早出番だった沖田が帰ってきて、妻と子供の口論に出くわします。何事かと尋ねる沖田に秋江が友人からの電話の件を話し出すと、隆文が横から言い訳を始めました。と、次の瞬間、沖田の手が隆文の頬に飛びました。
これまで妻にも子供にも手を上げることはおろか、暴言も吐いたことのない沖田のこの行動に、一瞬その場が凍り付いてしまいました。頬の痛みに我に帰った隆文はワッと泣きながら自分の部屋に逃げ込んでしまい、秋江は何もそこまですることは無いのにと、非難の眼差しで抗議しますが、それを一番わかっているのは沖田自身でした。反射的に自分の起こしたこの行動に彼自身が一番ショックを受けていたのです。沖田は何も言わず家を出ました。一人残された秋江は心の整理がつかないまま、言い知れぬ不安に覆われていきます。
疫病による社会不安が、それまで仲の良かった家族にまで暗い影を落とし始めたのかもしれません。
一人家を出た沖田も、心の整理がつかないまま車に乗りあてもなく走り始めました。子供を叩いたこと自体よりもなぜあの時抑制が働かなかったのか、漠然とした不安とストレスに負けた自分が情けなかったのです。本来の彼が優しく理性的な性格だったことがうかがわれます。しかし、まだ理性は戻っていなかったのでしょう、隆文同様彼もまた心のどこかで言い訳を探していました。と、その時、対向車線に車が飛び込んできました。考え事に飲まれていた沖田はそれを避ける事が出来ず、正面衝突してしまいます。
気が付いた時、沖田は病院のベッドで横たわっていました。病室の外では妻の秋江と子供の隆文が心配そうにのぞき込んでいます。医者からは腕を骨折していたものの命に別状はないと言われ、手当てを受ければすぐにも退院できそうに思えましたが、医者は言葉を濁しました。
事故を担当した警官によると、事故直後に沖田は車を出て相手方の運転手を助け出そうとしていたようで、その後骨折の痛みから気を失っていたらしいのです。救急搬送されたのが沖田家のかかりつけの病院で、そこから秋江に連絡が入っていました。
衝突相手については相手の運転手も事故では無事だったものの、高熱が出ており念のため検査をしたところ疫病に感染していました。高熱に浮かされながら運転をしていてハンドル操作を誤ったらしいのです。沖田も相手を助け出そうと接触していたことから、感染検査を受けることになりました。
数日後、主治医の中村医師から陽性との検査結果が告げられます。しかし沖田さんは若いし体力もあり既往症が無いので、ここで無理しなければ無症状か軽症で済むでしょう。ご家族にうつさないためにも通院よりもしばらく入院を勧めます、との事でした。それを告げる中村医師の顔色が悪いことの方が沖田にはむしろ気がかりでした。
大都市に隣接するこの街の救急指定病院の勤務医である中村医師は、国内で疫病感染が広がり始めたころから、感染症に詳しい医者という事で、大都市にある関連病院から要請を受け指導応援に派遣されていました。病院の受け入れ態勢を見直し準備を始めるつもりで引受けたのですが、実際には送り込まれてくる患者の数が日増しに増え、症状別に優先順位をつける段階にまで状況が悪化していました。中村医師もその波に飲み込まれ、経験の浅い医師の指導どころではなく、直接患者の治療に当たらざるを得ない中、マスクや防護服なども不足してきました。
そして、病院が一番恐れていたことが現実となります。院内感染の発生でした。中村医師の担当する部署ではなかったものの、病院は救急に限っての受け入れに舵を切り、一般外来は無期限休診となりました。応援派遣の中村医師はいったん任を解かれ元の病院に戻りますが、思い描いていたプランに着手することなく戻ってきた無力感が、疲労と共に彼の心と体に重くのしかかっていたのです。
戻ってきた病院でも着実に感染患者は増えていましたが、ここでは彼の指導で適切な態勢が敷かれており、まだ少しの余裕をもって状況に対応できていました。そんな中、沖田と事故相手の患者が救急搬送されてきたのです。医者としての使命感とこれまで蓄積した疲労とがせめぎあうなかで、中村医師の戦いはまだ先が見えそうにありません。蓄積疲労による免疫力低下を懸念しながらも、まだ倒れるわけにはいかないと自分を励ます毎日が続きます。
4月2日。世界保健機構は疫病による感染者が世界で200万人を超え、死者数は40万人に達したと発表しました。実に5人に1人が死亡するという惨状が世界を覆っていたのです。しかし、感染自体は人口比で世界中あまり大差なく広がっているにもかかわらず、死亡者の大半は実は医療体制の未熟な国・地域に限られ、治療を十分に受けられない、若しくは栄養状態が悪く抵抗力の弱い人々が、感染と共にバタバタと倒れ息を引き取っていているのです。
最初、この疫病は金持ちの病気と言われていました。仕事や観光で外国旅行できる人たちが感染していたため、そんな生活とは無縁の貧しい人たちは自分とは関係ないと思っていたからです。しかしいったん自国に持ち込まれた疫病は、貧富の区別なく広がり続け、むしろ貧者にこそ致命的な打撃を与えるに至ったのです。
4月10日。最初に感染が広がったC国で、V市が都市封鎖を解除し疫病の封じ込めに成功したと宣言します。
V市ではここ10日ほど新たな感染者はなく死者も出ていません。さらにC国全土でも新たな感染者は1桁台で推移していると、全体主義国家の体制のすばらしさを誇らしげに宣言したのです。
世界でも医療体制の発達した先進国では新たな感染の発生はピークを迎え、徐々に数を減らしつつありました。医療崩壊を起こした国でも先進国とみなされるところでは、死者数はまだ高水準で推移しながらも、ここでも新たな感染者数の曲線は緩やかになってきました。
今や疫病の主戦場は完全に発展途上国に移っていたと言えるでしょう。
4月30日。世界保健機構は疫病の終息宣言を発しました。
後半、発展途上国で猛威を振るった疫病は先進地域を上回る死者を出して、ようやく終息を迎えるに至ったのでした。
死者を多く出した国・地域では政情が不安定化し、国としての再建が困難を極めるところも予想されます。そこまでひどくなくても多くの国で経済的打撃はすさまじく、社会復興まで数年の時間は要するでしょう。その間の政府の対処次第によっては、多くの失業者が固定化され、貧困に由来する死者が大量に出るかも知れません。経済の停滞による税収の不足があり、救済に回せるお金がないからです。
N国はどうなったでしょう。民主主義を標榜する先進国の中でも、格段に感染者、死者数とも少ないなか感染のピークを越えたようです。各国はその成果に目を見張り、なぜこの結果に抑え込めたのか知りたいと考えているようです。
N国政府は、自身の対処政策が正しかったと胸を張りますが、野党はそもそもの水際対策の拙さや、要請だけを何度も繰り返し経済補償を渋ったせいで、会社事業の廃業、倒産が増大し失業者があふれた責任を追及します。感染者や死者が他国に比べ少なく抑えられたのは、政府の方針に従順に従う国民性のおかげで、決して政府の成果でない。これでは一将功成りて万骨枯れるだ、とまで言い切る党首もいます。
対して政府は、これまで休業補償に回さなかったお金を、これからの経済復興に大量につぎ込むつもりで、これこそ生きた金の使い方だと反論します。しかし、そのお金はもともと国民の収めた税と、膨大な赤字国債という借金によって賄われることを、政府も野党も忘れてはいけないでしょう。
N国では間もなく総選挙が始まります。国民が今回の政府の対応をどう評価するか、世界も注目するところのようです。
5月のある日。一旦終息したかに見えた疫病が再び人間に牙をむこうとしていました。感染者の体内で毒性を増した変種になっている可能性もあります。まだ疫病に対して有効な薬は開発されるに至っていません。各国の復興はまだまだ先のことです。
お話はここでおしまいです。
緊急を要する未曽有の災厄に見舞われたとき、それに立ち向かうには強引に国民を従わせて思い通りの施策を実行できる独裁若しくは全体主義は有効かもしれません。いわば性悪説に基づく政治支配です。対して個々人の自由な選択を尊重する自由民主主義は、こういう事態の時往々にして無力です。個々人のモラルに期待する性善説の限界でしょうか。
非常時に有効な全体主義は平時には国民にとって最悪でしかありません。国民を信用せず少数の支配によって思い通りに従わせるからです。対して平時に民主主義は有効です。個々人の自由な思想と活動は社会を刺激し活性化するからです。しかし行き過ぎた自由主義は貧富の差を容認し、結果として少数の支配による社会、つまり独裁や全体主義につながる素地があります。
自由民主主義と全体主義、それぞれに長所短所がありそれをうまく組み合わせることはできないものでしょうか。例えば民主主義社会においても、非常時に備え政府に絶対的権限を与える戒厳令を創設しておくことも考えられるでしょう。しかし、そこには時の権力が恣意的に運用できない確固たる縛りを作っておくことが絶対条件です。国民の多数が非常事態を抜けたと思っても、政府が非常事態と強弁して戒厳令を敷いたまま独裁を続けることは、世界の歴史を見れば枚挙にいとまがありません。戒厳令やそれに類する強権の付与は、非常時に薬だったものが平時には毒に変わるという劇薬です。
さて、架空のお話は終わりましたが、SF好きとしてはこんな結末も用意してみたいと思います。
6月に入って再び猛威を振るい始めた疫病は、すでに疲弊していた人間社会をさらに打ちのめし、あっという間に感染者は世界人口の半分以上、死者数はその半分に至ります。世界人口は実に4分の1以上を失い、国家は機能せず社会は崩壊しますが、それでもまだ終息は見えません。
そんな人類の終焉ともいえる状況を、宇宙の片隅で観察し続ける存在がいました。この存在が疫病を人類の上に振りまいたのでしょうか。人類の滅亡を手を下さずに待っているのでしょうか。それは分かりません。ひょっとしたら、残された人類が英知を振り絞り、どんな困難にも対処できる新しいシステムを作り上げることを期待し、待っているのかもしれません。この存在が人類の新たな英知の誕生を待っている、せめてそうであることを信じたいものです。
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書き込み有難う御座いました。(レスは、当該記事のコメント欄に付けさせて貰いました。)
6日前、ごろりん様のブログで小松左京氏の「復活の日」が取り上げられていました。1970年代、此の原作が映画化された際、映画館で見入ってしまった事を思い出します。此の作品の中で描かれていた世界、今の世界情勢と非常に重なり合う部分が多く、小松氏の洞察力の鋭さを自分も感じた次第ですが、思えばSF作品って「こんなにも未来を予言してたって、本当に凄いな!」と思わされる事が結構在りますよね。今回の悠々遊様の作品も、読み耽ってしまいました。
今夜、BS1で12年前に放送されたNHKスペシャルが再放送されました。当時、鳥インフルエンザ感染が取り沙汰されていた中、製作された番組ですが、「新型インフルエンザが突然変異し、世界的なパンデミックが何時起こるか判らない。」として、絶対的に数が不足している「人工心肺装置」の増産を訴えている等、“現状”を予言している様な内容に寒気を感じた次第。自分も「まさかこんな事態になるとは・・・。」という思いを持っていたのですから責められませんが、12年前に多くの人が真剣に考えていたら・・・と思わずには居られませんでした。
投稿: giants-55 | 2020年4月15日 (水) 21時23分
giants-55さん、おはようございます
コメントありがとうございます。
映画「復活の日」よくできたストーリーでしたね。映画の中では人類の生き残りが少なく、これでは復活は無理だという声もあったように記憶しています。
原作の小説では南極の生存者は1万人とあり、どれだけの人口があれば再び文明を取り戻せるか、その辺もち密に考えられていたのでしょう。
それに引き換え私の場合は現状をなぞっているようなもので、文章力もなく恥ずかしい限りですが、日本政府や政治家・官僚の現状認識の甘さ、ほんの1、2ヶ月先も予測できない無能力・無策ぶりに何か書かざるを得ない衝動に駆られてしまいました(苦笑)。
私たち庶民は日々の暮らしを生きていくのが精一杯で、何年も何十年もの未来を考えるゆとりがないのが大方でしょう。
だからこそそんな先のことを見据えて対策を立てるのが政治家の役割であり、対策を具体化していくのが官僚の役目だと思うんです。
目先の利益誘導や保身に走る政治家や官僚は、はっきり言って税金泥棒。
日本人は税金泥棒を長く優遇しすぎてきて、そのツケがいま回って来ているのかもしれません。
投稿: 悠々遊 | 2020年4月16日 (木) 08時55分
layout3のページからやってきました。以前も訪問したことがありますが、その時は、ミクロや創作の記事まで書かれているのは気づきませんでした。 思わず吸い込まれるように読ませて頂きました。本当の実体験の話かと思いました。 この政権はほんとうに怖いです。結局、森友の時の嘘やごまかしを、国民が裁ききれずにいたツケがまわって、やりたい放題になっている。 どうにか感染者が少なくて済んだのは、偶然の幸運と、地方自治体や、国民ひとりひとりの努力のお陰だと思っています。 命にかかわるコロナウィルス禍の下で、外出自粛で家にいて政治に目を向ける時間がやっと国民にできたことで巻き起こった政権批判。 これを災い転じて日本社会の方向転換に活かして行かないといけませんよね。 「戦後レジームからの脱却」なんて言っている政権の本質に国民がしっかり目を向けてほしいです。
教育勅語の暗唱するような時代錯誤の教育が、義務教育に持ち込まれたら日本の将来はありませんよね。
投稿: felizmundo | 2020年6月13日 (土) 10時16分
felizmundoさん、こんにちは
ご訪問と初コメントありがとうございます。
また駄文に過分の評価をいただきありがとうございます。
現政権の一番怖いところは、数を頼りに傲慢にふるまい、批判に真摯に向き合おうとしていないところだと思います。
かつての選挙で街頭演説の時、批判する聴衆に対し、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言したところに、この人物の本質が現れていると感じました。
自分の思想こそが唯一無二の正義だと思い込み他者を排除する姿勢は、昨今の「自粛警察」と通底するものであり独裁思想に繋がっているのでしょう。
全体主義の国は言わずもがな、自由と民主主義を標榜する超大国ですら、偏狭な思想の持ち主を大統領に選んでしまう昨今の状況は、本当に恐ろしいです。
偏狭な指導者が国を動かすことで偏狭な思想教育が行われ、偏狭な国民が生み出されて偏狭な指導者を選ぶ。
こういう負の連鎖を止めるには、私たち一人一人が自分の頭で考え、積極的に政治に口出ししていく必要があるのでしょうね。
今後ともよろしくお願いします。
投稿: 悠々遊 | 2020年6月13日 (土) 11時40分