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2020年4月12日 (日)

疫病はある日突然に 上

 このお話は近くて遠いどこかの国の出来事の顛末を記録したものです。

 出来事の本質を見やすくするため登場人物を限定して、進めていこうと思います。

 出来事の舞台となるのは、N国の大都市に隣接するベッドタウンのとある街。

 大都市の交通機関である路線バスの運転手の夫と、地元の街の会社に勤めるパート事務職の妻、その子供である小学5年生の男の子の家族。この家族のかかりつけ病院でもある街の中規模病院の主治医の医師、この4人が登場人物です。とはいっても登場はほんのわずかですが。

 2000某年1月20日。隣国のC国で原因不明の疫病が発生したと発表されました。

 疫病は医療環境が不十分な地方都市Vで発生しましたが、V市の責任者たちは風評被害を恐れ当初その事実を伏せていましたが、瞬く間に感染者が増え間もなく死者が出たことで、隠しきれなくなり公表に至りました。

 C国政府も最初はV地方の風土病ぐらいに捉え、十分な対策が後手に回ったことで数千単位の人々が感染するに至り、ようやく交通遮断、都市封鎖に動き、感染封じ込めに本腰を入れたようです。しかしC国政府を挙げての感染対策にもかかわらず感染者も死者も増加の一途をたどりました。

 感染者数と死者数が増加するにつれ、疫病の性質も次第に明らかになりました。感染者との接触や咳などの飛沫を浴びることにより伝染すること。そのためマスクの着用やうがい手洗いの徹底に効果があること。感染してから発症するまで10日間の潜伏期間があること、これまでに知られた疫病より感染力は若干強いものの、致死率はそう高くないこと。感染者の8割は軽症で、感染の自覚がない場合が多いものの残る2割では重症化し、初期対応が遅れると死に至ること。まだ有効な薬は見つかっていないことなどなど。

 この時期、世界の国々はC国の医療環境の遅れや初動対応の拙さを非難するものの、過去に疫病の大流行で苦い思いを経験した一部の国を除き、どこか対岸の火事を様子見しているようなところがありました。N国の政府も同様でしたが、隣国からの観光客を多く受け入れている事情もあり、発生源の都市からの入国制限や入国管理での健康チェックなどは実施することにしました。しかし緊張感の欠ける指示が末端の職員に伝えられるだけでは、徹底した水際防止にはつながりませんでした。

 2月5日。N国内で最初の感染者が見つかりました。

 C国から帰国した商社マンで、感染源の都市に近いところで商談を済ませての帰国者でした。入管では軽い風邪の症状を申告したそうですが熱もなくそのまま通過して、空港からタクシーで会社に出社、上司に報告を済ませ公共交通機関を乗り継いで帰宅後、発熱と嘔吐が始まり近くの病院で受診したところ、C国で発生した疫病と同じだと判明しました。

 N国政府は直ちに入国制限地域を広げる対応に走りましたが、この時点ですでに帰国者や海外からの渡航者など、無症状の複数の感染者が入国しており、交通機関、家庭、会社、観光地の飲食・娯楽施設などでの接触を通して、国内感染が始まっていたようです。

 210日。国内での感染が疑われる症例が複数見つかりました。

 それまでは外国からの感染経路をたどれる患者の方が多かったのですが、どこで感染したのか経路をたどれない感染例が増加してきたのです。時を同じくして、複数の外国でも感染者の発生が報告され、世界規模で疫病の流行が確認されるに至ります。

 225日。多くの国・地域において爆発的な感染者増加が報告され、世界保健機構はついに疫病の世界的大流行を宣言します。

 初期に徹底的な水際対策を講じた国では若干の感染者は出たものの、概ね抑え込みに成功しているように見えた半面、様子見に終始し対策が遅れた国や、もともと医療体制の脆弱な国では、医療崩壊を起こす事態にまで感染が広がり、数日単位で感染者と死者の数が倍増していく状態が続きます。

 N国では爆発的感染が諸外国に比べ抑え込まれ健闘しているように見えましたが、他国では感染検査を大規模に行っているのに比べ、あくまでも感染者の周囲の接触が疑われている場合に限っての検査だったため、国の内外から、実際にはもっと多くの感染者がいるのではないか、との疑問の声が日増しに多く上がっていました。

 N国政府はそんな声に対し、検査精度が高くないうえ検査対象を広げれば陽性と判断された人が病院に殺到し、早期に医療崩壊を起こすと危惧し、あくまで限定的な検査に終始しました。すでに医療崩壊を起こしかけている国では、陽性や擬陽性者を症状に分けてそれぞれ自宅や公共施設などに振り分け隔離、重症者に限って病院に搬送するといった、対処を始めているところもあったにもかかわらず、N国政府は自分たちの考えに固執し、柔軟に対応する事が出来なかったようです。

 それは都市封鎖という強硬手段においても同じでした。政府にとっても国民にとっても劇薬ともいえる都市封鎖は、先ず全体主義国家で実施され、一定の効果を上げつつありましたが、個人主義が徹底した民主国家を標榜する国でも、政府の要請に従わない人が感染を広げているとして、緊急避難的に罰則を設けるなどして抑え込みにかかり、それでも効果がないとわかるとやむなく戒厳令に踏み切るところも出てきました。

 N国政府では過去に緊急事態を想定して法律を拡大解釈してきた前例があるものの、実際に喫緊の課題に直面しながら、国民を縛る都市封鎖を中心とした非常事態宣言の発布をためらっていました。表向きは民主国家たる我が国では政府による国民への命令は憲法で認められていない、というものでしたが、実情は国民を縛る代わりに生活を保障するための経済補償が必要という、政府への縛りを嫌ったのではないかとみる向きもありました。

 31日。政府は突然、幼稚園、保育園から大学に至るすべての園と学校を、向こう1か月程度休園休校にするよう要請を出します。

 理由は元気な若い人たちが密集した空間で濃厚接触し、感染しても無症状のまま出歩いて感染を広げている懸念があり、それを防ぐため自宅待機して欲しいというものでした。若者はともかく子供を自宅に閉じ込めることによって、親たちにどんな負担がかかってくるか、共稼ぎを奨励してきた政府にしては、それへの対策や手当もないままの突然の要請に国民は戸惑いを隠せませんでした。しかも命令ではなくあくまでも自主性に任せる要請のため、混乱が広がるばかりでした。

 35日。政府は各企業・事業所に対し社員の在宅勤務を奨励するよう要請し、国民には不要不急の外出は控えるようお願いすると発表します。

 軽度の都市封鎖を狙った対策のようでしたが、今回も補償の伴う命令ではなく、あくまでも要請でした。国内で感染者が見つかってからすでに1か月が過ぎ、危機的状況のさなかにある諸外国ほどでないものの、感染者が増え続け医療崩壊も時間の問題とされる時期にしては、生ぬるいという声が巷にあふれていきます。

 政府に強権を与えることにより、政府が暴走した時のことを憂いる意見がある一方、緊急を要するときに要請を繰り返して事態を長引かせることの危険を訴える声の方が大勢を占めるような状況になっていたのです。

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