フォト
無料ブログはココログ

気になるサイト

  • かひちやうの部屋
    山天会長さんのホームページ。 太陽観望のわが師匠です。
  • とつぜんブログ
    SF関係の友人のブログ。内容多彩。
  • Banar_yuyuyu_2
    悠々遊のホームページでございます。
  • にほんブログ村 写真ブログ 天体写真へ
    にほんブログ村
    ブログ村に参加しています。ここをクリックしていただけると幸せ(笑)。

« 今日の太陽 2019/4/9 | トップページ | なぜパラオに行くことになったのか 2 »

2019年4月10日 (水)

なぜパラオに行くことになったのか 1

 年初に短期間ながらパラオを訪問してきました。自らのルーツにかかわる旅でもあったので、いずれ文章にまとめるつもりでいるのですが、極めてプライベートな内容を含むそれをブログに上げるのが良いのか悪いのか、迷いつつ文章力のなさを言い訳にずるずると引き延ばしていました。
 しかしもともと記憶力が悪いうえ、先延ばしにするほどに旅行の記憶があいまいになってしまうので、これではだめだと思い記憶の残っているうちにとりあえず文字にしておき、後日改めてちゃんとした文章に書きなおすことにしようと考えなおしました。
 
 母の半生については、私の若いころから何度も話を聞いていたのですが、「今どきの若い者」の例に漏れず、親の人生に何ほどの関心も示せず、ただ聞き流していていたせいで、今では記憶も朧気で曖昧、思い違いなども多々あってどこまでが聞きかじりによる事実で、どこからが思い違いによる創作なのか判然としません。
 しかしそんな記憶の糸を手繰り寄せることになったのは、私自身が70歳を目前にして終活を考え始めるにあたり、母が亡くなって14年、徐々に処分してきた遺品の中でも、手が付けられなかった写真をどう処分するか、特に戦前の写真に写る異国の風景や人々のことが気になりだしたことから。
 母が戦時中のパラオから命がけで持ち帰った写真、そこに写っている人たちの家族にこの写真を手渡せないものか、地元の新聞社に相談を持ち掛けたところ、思いがけず記事にしていただき、そこから人の縁が生まれ、思いもしなかったパラオへの訪問が実現したのでした。
 
 パラオは日本からはほぼ真南に約3000km、北緯7度、東経134度付近にある太平洋上の大小約200ほどの島からなる小さな島国で、全部の島を合わせても屋久島ほどの面積にしかなりません。
 本島と呼ばれるバベルダオブ島が一番大きく、首都マルキョクや国際空港もこの島にあり、国土の7、8割程度を占めています。その南側に隣接するコロール島がパラオの中心で、全人口2万人ほどの約8割以上がこの島に住んでいます。2006年10月までこの島に首都がありました。
 現在はダイビングや観光資源で成り立っている国ですが、75年前までは日本の統治下にありカツオ漁やリン鉱石の採掘も盛んだったようです。南洋と呼ばれるこの一帯を統治する南洋庁がコロール島に置かれ、コロールがパラオの中心となる礎になったのでしょう。
 パラオが国際的に知られるようになったのは、16世紀の大航海時代にスペインによりミクロネシアの一部として発見されたことから始まり、19世紀末にドイツに売却されるまでスペイン領でした。1914年に第一次世界大戦が起きると、日本は連合国側についてドイツに宣戦布告し、終戦後に信託統治権を手に入れ実質的に植民地としました。
 スペインやドイツ領の時代にはリン鉱石の採掘を細々とやるぐらいで本国からあまり重要視されず、白人によるほかの植民地同様、原住民であるパラオ人も人間扱いされることがほとんどない状態だったようです。しかし日本の統治が始まると現地人のための学校を作ったり、病院や道路といったインフラ整備に力を入れ、それまで漁業のほか生産手段を持たなかった現地人に農業を教えるなど、自立支援を行いました。
 これは人道的支援という側面のほかに、同化政策による高レベルでの労働力確保という目的があったのでしょう。その証拠として現地人の教育は小学校までで、特に優秀な子供だけは内地(日本本国)の中学校に留学させるものの、あとは入植者の手伝いや勤労奉仕につかせ、成人の仕事も日本人の補助的なものに限っていたようです。
 それでもそれまでの白人支配の時代に比べ、より人間扱いし自立自活の道筋をつけたことで、戦後70余年が過ぎた今でも親日感情はとても高いとのことです。
 日本による統治が安定した1920年ごろになると、現地人を上回る2万5000人以上の日本からの移民・入植者があり、コロールの中心街は日本の商店が軒を連ねる繁華街になっていったといいます。

_13

昭和13年ころのコロール市街地図。
日本統治によりもっとも繁栄していたころ。

« 今日の太陽 2019/4/9 | トップページ | なぜパラオに行くことになったのか 2 »

コメント

記事、せっついてしまった感じで申し訳在りません。でも、凄く気になっておりましたので、今回の第一弾は凄く嬉しかったし、何時も以上にじっくり読ませて貰いました。パラオ訪問の切っ掛けは、新聞記事だったのですね。

以前にも書きましたが、父は亡くなる数年前、唐突に「家系図を作ってみたいな。」と言い出しました。当時の自分は今程歴史に興味無かったし、「何故、家系図を?」とポカンとしてしまったというのが実際の所でした。

然し、歴史に強い興味を持ち、特に近現代史にのめり込む様になって以降、戦時中の文献や体験者の証言を読み漁る様になりました。又、父が亡くなった年齢辺りになると、“自分の来し方”という物を凄く知りたくなり、「彼の時、父が家系図を作りたかった気持ちが判る。」様になった次第。

個人情報等の絡みも在りますし、触れられる部分を限定するのは当然の事と思いますので、じっくり時間を掛けて書いていかれる事を期待します。

どっぷりと読み耽ってしまう記事、本当に有り難う御座いました。

giants-55さん、こんにちは
早速のコメントありがとうございます。
せっついてもらってなかったら、いつまでもずるずると先延ばししていたかもしれず、そのうち書く意欲すらなくしていたかもしれません(苦笑)。
今回の記事を書くにあたっては、自分をはじめ家族の「負」の部分も避けて通れず、自身のコンプレックスも曝していくことになると思います。
なのでためらいもあり、差しさわりのない範囲以外は名前を伏せて書くつもりです。
しばらくお付き合いいただければ幸いです。

悠々遊さん、こんばんは^^
パラオ訪問へのきっかけと経過、読ませて頂きました^^
自分も他界した祖父母から戦時中の話などほとんど聞けないままとなってしまい、今になって知りたいという気持ちが出てきています。生前からあまり子供たちに話したがらなかったので、余計に聞けるチャンスがありませんでしたが、時々考えることがあります。
それゆえに悠々遊さんがどんな情報を辿ってルーツに迫ったのか、とても興味があります。差し障り無い範囲で構いませんので、追加記事も書いていただければなぁと思います^^

あーちゃーさん、おはようございます
コメントありがとうございます。
若いころは自分のことに精いっぱいで、親の人生などに大した関心を示せなかったのに、自身が歳を重ねてくるに従いルーツをたどりたくなる・・・。
実に勝手なものですが世間でもそうした傾向はあるようですね(苦笑)。
今回の記事を書くにあたって、戦争がいかに多くの人の人生を狂わせ、不幸を生み出したか改めて実感することになりました。
プライベートな内容をしばらく続けることになりますが、お付き合いいただければ幸いです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 今日の太陽 2019/4/9 | トップページ | なぜパラオに行くことになったのか 2 »