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2017年3月

2017年3月 3日 (金)

あるいは答えのない質問

週の頭でぎっくり腰をやってしまい、ほとんど寝たきり状態でテレビを見て過ごすうち、こんなことを考えていました。

私はどちらかというと左派思考の持ち主です。日本共産党の国会での発言などに共鳴する部分が多いので、どちらかどころかはっきり左翼志向なのかもしれません。

でも共産主義に掲げられている、一党独裁の上から目線で人民を指導教育していくという思想には全く同意できません。それが個人であろうが集団であろうが「独裁」には傲慢さと胡散臭さと嫌悪感があるので。だから世間で期待されるような強いリーダーシップの持ち主にも胡散臭さを感じてしまいます。

さて本題。日本の独立と平和は何によって守られ、または守っていくべきなのでしょうか。私にはまだ明確な答えが得られていません。

私は上記したように左派思考の人間ですが、護憲派で言われているように「憲法第9条が日本の平和を守っている」とは思いません。理想を書いた条文で平和が守られるならそれは「護符」と同じで、神仏頼り神仏任せの無責任で危うい平和にしか思えません。

ただし、憲法9条を掲げ実践していくことで、周囲から戦争しない国として信頼を勝ち取っていく効果は期待できるでしょう。

しかし私は人間の本性は悪だという「性悪説」の持ち主でもあるので、自分が丸腰であなたに危害を加えるつもりは無いと言っても、ISISのような相手に通じるかどうかは疑問に思いますが。

反対に改憲派で言われるように国として当然の軍隊を持ち、武力で国を守り平和を維持することは可能でしょうか。これにも私は大いに疑問を持っています。

武力による平和は所詮矛と盾「矛盾」に他ならないからです。相手から身を守るためには相手より大きな力を持つ必要があります。相手にしても同じ考えでしょう。結果、軍拡競争しか答えは出てきません。GDPを食いつぶしながら軍備拡張していけば、戦争は抑止できても国も国民もいずれ疲弊してしまいます。潤うのは軍需産業だけです。

お互いが相手に仕掛けた爆弾の導火線を握り、いつ相手が導火線に火をつけてくるかびくびく恐れながらの平和が本当の平和かどうか。

東西冷戦の末、超大国の一方、ソビエト連邦が体制を維持できず崩壊したのも、こうした精神的・物質的疲弊に耐えられなくなったからでしょう。

国の独立と平和の維持に絶対的な効果がある方法があるのかないのか、無いなら次善の策は何なのか、答えが分からないままです。

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