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2010年6月23日 (水)

無理が通れば道理が引っ込む

 昔は、もじって「バスが通れば道路が凹む」といった茶化し言葉もあったが、何処もかしこも舗装された今どきの道では、バスが通ったぐらいでは道は凹まないだろう。しかし、無理が通れば道理が引っ込むのは昔も今も変わらない。「長いものには巻かれろ」、「泣く子と地頭には勝てぬ」日本人気質は今も健在である。
 無理を言っている本人が「無理を承知で」言っているなら、まだ救いはあるが、無理を無理とも思わずに押し通す手合いが一番困る。社会問題化している今どきの「モンスターなんたら」もそうした手合いだろう。
 組織のトップにもそんなのがいる。本人は至極真っ当な事を言っているつもりだから、周りの反論に耳を貸そうとしない。部下がある程度反論を試みても、トップが聞く耳を持たないのだからやがて反論を諦める。そうすると正論を言っているのだから部下も納得した、と錯覚する。
 こういう事が繰り返されると、やがてそのトップの周りには思考停止状態の「事なかれ主義」と「イエスマン」が形成されてしまう。この状況で一番の問題は、そのトップに「ワンマン」の自覚が無いことだ。自覚が無いから「改めるべきこと」に気が付かない。
 では、理想的な組織のトップとは「無理を言わない」人物だろうか。ちょっと違うな。方向性は示すが最初から自己主張せず、しばらく部下に議論させ最後に決断する、というスタイルを持てる人物かな。自由に意見を言える環境は、組織を活性化させると共に、より良い選択の幅を確保できることであり、決断力を養う道場にもなる。
 ところで、「理屈」のことを「道理」と誤用されていることが、まま見受けられるが、「理屈」とは字の通り「理を曲げている」のだから「道理」ではない。道理を曲げて自分の都合のいいように解釈しているのが「理屈」だろう。
 さて、この一文は「道理」か、「理屈」か、「屁理屈」か。

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コメント

「無理をいうトップ」
これはある意味、強力なリーダーシップを持ったトップといえるのではないでしょうか。
本田宗一郎、松下幸之助、安藤百福、といった人たちは、かなり「無理をいうトップ」だったのでしょう。だからこそホンダ、パナソニック、日清の今日があるでしょう。
これらはうまく行ったわけで、凡百の企業は、おっしゃるように「イエスマン」の集団に取り囲まれる「裸の王様」になっているのでしょう。
「自分で決めて、グイグイ部下を引っ張る」「よきに計らえで部下に任せる」の兼ね合いがトップのウデの見せ所でしょう。

雫石さん
成功例の「無理を言うトップ」は、部下の素質を見抜いた上で「無理を承知で」無理を言っているのではないでしょうか。トップに必要な条件は、相手の素質や実力を見抜く眼力が有るかどうか、部下を手駒として使いきれる力量が備わっているかどうか、だと思いますが。

書き込み有難う御座いました。

「全体に曲げてはいけない信念」と、「総合的に判断して、曲げても良い信念」というのが在ると思うんです。成功した(する)トップというのは、この兼ね合いが絶妙に取れる人で在り、唯我独尊的に信念ばかりを強いるトップというのは、結果的に下は付いて来ない。過度な形式主義の人は概して全ての信念を意地になって曲げない所が在り、故に失敗するケースを多く目にして来ました。相撲協会のトップにも、そういった人が少なくないのではないかという気がしております。

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