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2009年6月20日 (土)

臓器移植と脳死と

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 臓器移植に関する法案が衆議院を通過しました。脳死を人の死と認定し、年齢制限を設けず臓器移植に大きく道を開くとされるA案です。臓器移植を待つ人たちにとっては朗報とされる一方で、植物状態の家族を抱える人たちにとっては、法律によって死を宣告されるようでたまらない、と言う抗議も聞こえてきます。
 たくさんのチューブに繋がれ、医療機器という名の機械によって無理やり生かされている命がある一方で、移植手術によって助かるはずの命がその機会を得られず失われていく現実。動植物を含め誰かの命の犠牲の上にしか成り立たない、我々の命の命題がここにもあります。
 今回の件は臓器移植を前提に脳死をどう取り扱うかが焦点であり、また問題点でもあったように思います。しかし本来臓器移植と脳死問題は切り離して、それぞれ十分に議論すべきものではないでしょうか。それを最初から結びつけ、双方にしこりの残るような法律に仕立てるのは、どう考えても無理があるように思います。
 人の死を脳死とするか心臓停止とするかと問われれば、私は脳死を人の死と答えます。二度の脳梗塞により、最後は意識が戻らないまま逝った母を看取り、私自身、先天性心臓疾患の原因部分切除と、腎癌による片方の腎臓摘除という手術を経験していますが、脳にこそ人の本質があり、人格や心といったものの全てがそこにあると思っているからです。脳が死んでしまえば、たとえ心臓が動いていても、それはエンジンがかかったまま運転手のいなくなった、空っぽの自動車のようなもの。
 臓器移植については、移植を急ぐあまり脳死判定が不透明にならないか、臓器ビジネスに道を開くのではないか、そんな疑念があります。移植を待つ人には酷でしょうが、善意のドナーの提供を待つのがベターだと思います。ジャンク品から部品取りして機械の寿命を延ばすような事を、人間に当てはめるのはどうかと思うのです。

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コメント

>本来臓器移植と脳死問題は切り離して、それぞれ十分に議論すべきものではないでしょうか

おっしゃる通りだと思います。なぜ、人の死をはっきり線引きしたがるかといえば、脳死者から、一刻も早く移植用臓器を取り出したいからでしょう。
脳死者をたんに、移植用臓器の供給源としか見ていない感じが否めません。
私は、人の死は、ここからが死で、ここまでは生との、デジタルに認識できないのではないではと考えます。
本当は、完全な人工臓器ができるのが一番いいわけですね。

コメントありがとうございます。
大人の脳死では、人工的な延命措置をしなければ、2日ほどで心配停止になるそうですが、幼児の場合は何年もの間身体が成長し続けるとか。人の身体はまだまだ分かっていないことの方が多いのですね。
一時的な利害で結論を急ぐようなことではないとつくづく思います。

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